国重要有形民俗文化財
岐阜市歴史博物館には、昭和30年4月に国の重要有形民俗文化財に指定された「長良川鵜飼用具」計122点が保管されています。当時の各鵜匠家で使用していた鵜飼用具が集められており、長良川における鵜飼漁の全容を網羅しています。
有形民俗文化財とは、日本人の日常生活の必要から生み出され、工夫・改良を繰り返しながら伝えられてきた有形の文化財です。わが国にとって特に重要であるものが、国の重要有形民俗文化財に指定されます。
分類 | 代表的なもの | 指定数 | |
(一)鵜飼期間用具 | 2船関係 | 鵜飼船、櫂、棹、帆、引綱、めばり棒、碇 等 | 16 |
2鵜関係 | 鵜篭、吐篭、せいろ、鉈、にご、鵜剥製 等 | 31 | |
3光熱関係 | 篝、松割木、茶だき、とぼし、松敷、松菰 等 | 14 | |
4鵜匠関係 | 服装、手縄、広桶、むしろ 等 | 15 | |
(二)餌飼期間用具 | 2泊り餌飼関係 | 棟桁、苫、せんじ(羽釜、鍋等)、ささら 等 | 19 |
2陸餌飼関係 | 餌飼車、てんびん棒 | 2 | |
(三)手縄原料及び用具 | 1原料 | 手縄木、綯った手縄、腹掛、首結、つもそ 等 | 6 |
2用具 | 針、定規板、手縄箱 | 3 | |
(四)腰蓑製作用具及び工程 | 藁槌、腰蓑製作工程標本 | 2 | |
(五)鵜飼育用具 | 鳥屋篭、輸送用篭(明治時代、現代)、切出小刀 | 4 | |
(六)其他 | 胸当(江戸時代)、宮内省御用鵜鮎逓送用箱 等 | 10 | |
合計 | 122 |
鵜舟
鵜匠や船頭は、「鵜舟」と呼ぶ舟に乗って鵜飼漁を行います。
鵜舟は、水に強く、軽くてよくしなる槇(まき)が用いられます。全長約12m、中央の幅は約90㎝。舳(へさき)(船首側)と艫(とも)(船尾側)がほぼ対称となっており、川の流れに乗りやすく、波を立てずに進めるよう、舳と艫に反りがついています。舳の平板には穴が空けられており、篝のついた棒を差し込みます。この時、穴に槿(むくげ)の葉が付いた枝を入れることで、樹液が出て、篝棒が回転する際の摩擦を防ぐ役割を果たします。
かつて、船外機を使用する以前は、風があれば鵜舟に帆柱を立て、帆を張って上流に上っていました。風が弱い時は、鵜舟にめばり棒を立て、そこに引綱を結び、船頭が河原に下りて綱を引いて上りました。
様々な種類の籠
鵜匠装束
鵜匠は、伝統的な装束に身を包んで鵜飼漁をします。
「漁服」は、鵜匠の仕事着です。夜の漁で鵜が驚かないように、黒色または濃紺色の木綿布で作られています。「胸当」は、漁服の開いた胸元から篝の火の粉が入らないようにするものです。「風折烏帽子(かざおりえぼし)」は、黒色または紺色の麻布で作られています。頭に巻き、篝の火の粉で頭髪や眉毛が焼けるのを防ぎます。
「腰蓑」は、鵜匠の体が濡れて冷えるのを防ぐために腰に巻きつける蓑です。シーズンオフに、熟練の技術により作られます。「足半(あしなか)」は、鵜匠や船頭の履物です。足裏約3分の1の長さで作られており、滑りやすい鵜舟の中でも足をとられずに踏ん張りがききます。
餌飼で使用された道具
現在、鵜匠は休漁期間中、鵜の餌に冷凍のホッケなどを与えて飼育しています。しかし、以前は、鵜と鵜匠が鵜舟でともに生活しながら、魚を求め小河川を巡り、冬季の鵜の餌を確保してきました。これを「餌飼(えがい)」と言います。
餌飼には3種類あり、まずは鵜舟に乗り、日帰りで隣接する河川に出かける「川餌飼(かわえがい)」を行います。次いで、餌飼車に鵜籠を乗せて川に向かう「陸餌飼(おかえがい)」、その後、再び鵜舟に乗り、泊りがけで出かける「泊り餌飼」を行います。泊り餌飼では、船に柱をとりつけて棟桁を渡し、屋根をかけて船で寝泊まりできるようにしました。また、「せんじ」と呼ぶ炊事用具を持ち込み、船内で料理もしていました。
江戸時代・明治時代の道具
鵜匠家には、江戸時代、尾張藩主が鵜飼を上覧した際に鵜匠が着用したとされる胸当が伝来しています。白地の絹や紺色の羅紗に、鵜匠家の家紋を刺繍した美しい胸当です。他にも、当時鵜匠が餌飼などに行く時に着用した羽織や、尾張藩御用の鵜飼に使用した提灯なども伝来しています。
明治時代の道具としては、宮内省御用の鮎を輸送するのに使用した箱とせいろがあります。表面には、黒漆で「式部職」と墨書されています。また、丸形の弓張提灯で、火袋の表面に「宮内庁」という文字や宮内庁の紋などが墨書されているものもあります。
このように、江戸時代や明治時代の道具には、尾張藩や宮内庁などとの関わりがうかがえる資料が多くみられます。